公開日 2021年12月06日
12月4日(土)、第124回島根大学総合博物館アシカル講座「鉄器が変えた!西日本・朝鮮半島の先史社会」を開催しました。この講座は、令和3年度アシカル講座第2ステージ「先史時代の日本列島・朝鮮半島(+北欧)」の第2弾になります。今回は、島根大学総合博物館の会下和宏副館長が、先史時代の日本列島・朝鮮半島において鉄器の普及が社会をどのように変えたのかについてお話しました。
はじめに鉄の種類にはどのようなものがあるのか、鉄・鉄器の生産工程はどのようなものかなどの説明がありました。つづいて、人類史における初期の鉄器利用は、隕石の鉄が使用されていたこと、現在のトルコにあったヒッタイト帝国の鉄器文化が古いことなどについて説明がありました。
西アジアの鉄器文化が東アジアに伝わると、戦国時代の中国では色々な道具が鉄器化されていったようです。朝鮮半島では、墳墓の中に鉄の剣や斧などが副葬されるようになり、特に紀元前1世紀から紀元2世紀頃には豊富な鉄器が見つかっているとのことです。
日本列島では、弥生時代の中期頃から本格的に鉄器が流通するようになり、後期にかけて、斧や矢じりなどの鉄器が普及していきました。こうした鉄器や鉄素材は朝鮮半島南部からもたらされたものでした。そして、鉄器の広域流通の活発化によって地域間のネットワーク化が進んでいったと考えられています。さらにこうした流通を差配する首長の役割が大きくなることで首長権力が伸長し、大型墳丘墓を造営するような階層化社会が出来上がったと想定されています。
このように日常の道具として鉄器が普及することは、広域流通を活発化させ、それが地域社会同士を結び付け、社会を変えていくことにもつながっていきました。
次回は、来年1月8日、第125回 「『伝世鏡論』再考」になります。引き続きよろしくお願い致します。