第14回「島根学」電車・バス交通の歴史を解説

公開日 2014年02月03日

 第14回「島根学」は1月24日、本学のホールで行われ、一畑電気鉄道株式会社代表取締役社長の大谷厚郎氏が「島根の交通の歴史について」と題して講演し、一般聴講生19人を含む約280人が聴講しました。

大谷氏は隠岐・黒曜石の分布から話を始め、日本の古代の道として「山陰道」「山陽道」「東海道」などの五畿七道があり、鎌倉時代から戦国時代にかけて海上交通が盛んになり、16世紀頃からは北国船(後の北前船)が出現したとしました。大谷氏は山陰には出雲の鉄や石見の銀などの特産物があり、水運が活況を呈していたことなどを話しました。

 一畑電車株式会社の前身・一畑軽便鉄道(株)が創立されたのは1912(明治45)年のこと。大谷氏は「ニュービジネスとなるものが必要だった」「平田の人々の思いによるものだ」と鉄道敷設の背景について述べた後、出雲今市(現・電鉄出雲市駅)~雲州平田間で営業運転を開始した1914(大正3)年当時は蒸気機関車だったものの、1927(昭和2)年に電化した経緯、路線延伸や出雲鉄道、島根鉄道の吸収合併について話しました。また1930(昭和5)年にはバス事業にも着手、戦後に育成強化し1950(昭和25)年には全国最長路線となる広島線を開設するなど、1969(昭和44)年のピーク時には 1501キロの営業キロ数となったと紹介しました。

 1960年代には輸送人員の減少によって鉄道の存続も問われ、沿線地域対策協議会による欠損補助から上下分離方式に変更。その後、経営多角化や事業拡大により持ち株会社としての一畑電車株式会社が誕生し、安全で確実な公共交通サービスや環境改善効果、観光資源としての価値見直しなどによって存続しているとしました。

 大谷氏は「交通ネットワークは地域活性化の必要条件」と述べ、地域貢献に何ができるかを常に考えながら、地域に根ざす一畑グループならではの総合的なネットワークで、豊かな郷土づくりに貢献したいと強調しました。

 

講義をする大谷厚郎社長
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