第11回出雲文化学「16世紀の日本列島と出雲尼子氏」の講演がありました

公開日 2014年07月08日

 出雲文化学の第11回講義が6月27日、本学ホールで行われ、本学教育学部の長谷川博史教授が「16世紀の日本列島と出雲尼子氏」と題して講義しました。長谷川教授は、なぜ16世紀に出雲で有力な権力が生まれ、そして滅んだのか、それを「海」からの視点で解説しました。市民パスポート会員43人を含む200人が受講しました。
 長谷川教授は、16世紀に一挙にその領土を拡大し、中国地方および兵庫の一部までを大内氏と二分するまでに至った戦国大名・出雲尼子氏について概説しました。尼子氏は1530年代から50年代初頭にかけて最盛期を迎えるが、その後拮抗していた大内氏とともに衰退し、毛利氏によって1566年には滅亡するという急激な盛衰の歴史があると説明しました。
 この尼子氏の発展について、製鉄を掌握していたことから可能であったという説もあるが、製鉄に関する職人を権力が管理統治することは困難であったろうし、実際の遺構も領土と関係なく分布していることから疑問があるとしました。
 岩屋寺復興の記録などから、1500年ごろにはすでに、製鉄を行っていた内陸地と海岸部、山を越えた地域とは商人を通じて交流があり、陸路だけでなく海運も発達し、西日本海海域で緊密で日常的な交流・物流のネットワークが形成されてきたことを説明しました。
 そのように海の世界が大きく変わっていく中で、重要な水運拠点となった美保関を眼下に収める富田城を本拠地としたことが尼子氏の勢力を巨大化させた一方、1520年代に石見銀山が再発見され、世界で重要な産出地となっていくことで唐船や北国舟が宇龍浦などに新規着岸し始めたため、美保関の重要性が相対的に低下して尼子氏はその基盤の力を失い、衰退することになったという説を示しました。
 出雲文化学第12回は7月4日、荒神谷博物館館長の藤岡大拙氏が「出雲弁と出雲文化」と題して講義します。

 

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