第65回ミュージアム講座「国司からみた古代の出雲国」を開催

公開日 2014年01月27日

 1月25日(土)、松江スティックビル・松江市市民活動センターにて、第65回島根大学ミュージアム市民講座「国司からみた古代の出雲国」島根大学公開講座「考古学・歴史学からみた先史・古代の出雲IV」)を開催しました。

 今回の講師は、大日方克己先生(島根大学法文学部教授)でした。内容は、古代律令国家のなかで国司とは、具体的にどのような仕事をおこなっていたのかというものです。

 国司は、都から地方に派遣されてきた役人で、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の四等官などからなります。仕事の内容は、戸籍や計帳(税徴収のための基本台帳)の作成、租・庸・調の収取などがあります。

 出雲国で最初に名前がみえる国司は、708年に任じられた忌部子首(いんべのこびと)という人物です。この人は、672年の「壬申の乱」のとき、大海人皇子方の軍に属しました。また、681年、国史の編纂にもたずさわっています。

 また、735年に任じられたのは、石川年足という国司です。蘇我氏の本流で、のちに中納言まで昇進、75歳で亡くなります。この人は、天平年間の全国的な疫病や飢饉に際し、出雲国での善政が評価されて、表彰されたという仕事のできた人物だったようです。739年、年足が貧しい人々に食糧援助した際の報告書である、天平11年の『出雲国大税賑給歴名帳(いずものくにたいぜいしんごうれきみょうちょう)』(正倉院文書)は、わが国の古代史研究において重要な史料となっています。また、仏教を厚く信仰していたようで、出雲国在任中に写経したものが今に伝わってもいます。

 こうした奈良時代の国司は、平安時代にはいると、より責任と権限が増した受領(ずりょう)と呼ばれるようになります。出雲国の受領のなかにも、様々な面白いエピソードをもつ人物がいるようです。

 

 このように、古代出雲に関する文献記録のなかには、あまり知られていない、まだまだ多くの人物がいます。今後もこういった公開講座で、ご紹介していきたいと考えています。

 

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